2014年05月25日

偽霊能者・金英順の「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ」は嘘ーー統一教会の霊能者は皆インチキ

「霊人も嘘を言う」と聞かされてきたはずですが、シックはお父様公認の霊能者が言ってるからと盲信します。

それは危険ですね。もっと実証的な物、歴史に残っている史実や文献を調べるべきでしょう。

教条的・バリ教のシックは、史実よりも「お父様」や「霊能者」の言う事が正しいと言うんでしょうかね。


以下に引用させて頂いた、佐倉哲氏はアメリカ在住の方の様です。宗教哲学を深く研究しておられ、統一教会の事も多少研究しておられますね。

この方の主張を全面的に支持する訳ではありませんが、以下の内容については非常に的確にポイントを突いていますので、一部を引用させて頂きました。



佐倉哲エッセイ集


『李相軒先生が霊界から送ったメッセージ』のウソ


統一教会のシャーマン(霊能者・巫女)の一人である金英順(キム・ヨンスン)女史が、生前統一教会の幹部のひとりであった李相軒(イ・サンホン)という一人の死者との交流を記したという、「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ」という同一の副題を持つ書二冊に目を通す機会を得ました。統一教会の霊能者の主張を吟味します。






ソクラテスについてほんの爪先ほどの知識でも持っている者ならだれでも、このソクラテス像(金英順女史の記述内容)がデタラメであることにすぐ気がつくでしょう。 


なぜなら、ソクラテスほど他人ソクラテスについてほんの爪先ほどの知識でも持っている者ならだれでも、このソクラテス像(金英順女史の記述内容)がデタラメであることにすぐ気がつくでしょう。


なぜなら、ソクラテスほど他人との対話を好む哲学者はいないからです。


ソクラテスがあるとき同じところに立ち止まって日が暮れてもそのままの状態で、次の朝になるまで立ち続けて思索を続けていた、などという記述もありますが、いかなる意味においても、


ソクラテスが、他人との交流を嫌い、対話を好まない人物であったことを示すものはありません。


同時代のクセノポンは、ソクラテスについて、  「いつも人の見る所にいて、たいていは談論していた。それは誰でも、聞こうと思えば、聞けるものであった」と書き残しています。


また、ソクラテスを揶揄する人からも、 「おしゃべり乞食」などとからかわれています。


そして、なにもりもプラトンの書き残したものが、ソクラテスが<対話する哲学者>であったことを如実に物語っていますプラトンの書き残したソクラテスの姿は、たとえば、いつでもこのような形で始まります。



ソクラテス:クリトン、どうして君は今時分にやって来たのだ。まだ大変早いじゃないのか。


クリトン:たしかにそうだよ。


ソクラテス:およそ何時時分だろう。


クリトン:まだ夜明け前だ。


ソクラテス:不思議だね、牢屋の番人が君を入らせる気になったのが。


クリトン:ソクラテス、あの男はもうよく僕のことを知っているのだ、僕がたびたびやって来るものだから。それにあの男はまた僕から何かと心付けをもらっている・・・

(プラトン著『クリトン』、久保勉訳)


カリクレス:やあ、ソクラテス、争いごとや喧嘩に加わるのだったら、あなたがたのようにすべきだと言われていますがね。


ソクラテス:え?それではぼくたちは、諺にいうように、「祭りが終わった後に」来たのであって、間に合わなかったというわけかね?


カリクレス:そうなんですよ。それも、たいへん優雅な祭りでしたのにねえ。というのは、ほんのついさっき、ゴリギアスが、いろいろと見事な弁論ぶりを、われわれに見せてくれたのですからね。


ソクラテス:しかし、そういうことになったのは、カリクレス、ここにいるカイレポンの責任なのだよ。この人のために、ぼくたちはアゴラで、やむなく手間を取らされたものだから。・・・・


(プラトン著『ゴルギアス』、加来彰俊訳)



そして、こういった会話はいつの間にか哲学的な問答に発展していきます。



クリトン:ソクラテス、君の言うことは正しいように思われる。だが僕たちはどんなに行動したらいいか、考えてくれたまえ。


ソクラテス:一緒にそれを考えてみようではないか、善き友よ。それからぼくの言うところに対して何か反対説が立つなら、反対したまえ。そうすればぼくは君に従おう・・・。


クリトン:じゃあそうして見よう。


ソクラテス:僕たちの主張は、人はいかなる事情の下にも、決して故意に不正を行ってはならないというのか。それとも、ある場合には行ってもいいが他の場合にはいけないというのか。・・・クリトンよ、僕たちはこんなに年寄りで、しかもあんなに長らく熱心に議論を戦わし合っていたくせに、今が今まで子どもと何の違いもなかったことに気づかずに来たわけなのか。・・・僕たちのあの頃の主張には、いささかの変わりがないのか。僕たちはそれを肯定するのかしないのか。


クリトン:肯定するのだ。


ソクラテス:では、人はどんな場合にも不正を行ってはならないのだね。


クリトン:むろんならない。


ソクラテス:では、多衆が考えるように、人はまた不正に報いるに不正をもってすべきではないのだね、なぜといえば人はどんな場合にも不正を行ってはならないのだから。


クリトン:明らかにそうすべきではない。

ソクラテス:じゃ重ねて聞くが、クリトン、人は誰かに禍害を加えてもよかろうか、それともわるかろうか。


クリトン:それは無論わるいにきまっているさ。ソクラテス。 ・・・

(同上、『クリトン』)


といった具合です。

このようなソクラテスの哲学の方法は「ディアレクティケ(問答法、対話法)」と一般に呼ばれています。ソクラテス自身も自らのやり方を産婆術にたとえています。



産婆たちと同様の事情で、僕は智慧を生めない身なのだ。だから、既に多くの人たちが僕を難じて、他人にたずねるばかりで、自分は何の智慧もないものだから、何事についても、自分一個の見識は示さないと言ったのは、いかにもかれらの非難の通りである。


これには、しかし、次のような子細があるのだ。ぼくは取り上げの役を受け持つように、神が定めたまい、生むほうの役は、封じてしまわれたのだ。


だからこそ、僕自身は、まったく少しの智慧もない身であり、自分の精神が生んだもので、これといって智慧者めいた発見などは、何もないのだ。


ところが、ぼくと交わりを結ぶ者はというと、当初のうちこそ全然の無知と見える者もないではないが、やがてこの交わりが進むにつれて、神の許しさえあれば、すべての者が、わが目にも多の目にも、驚くばかりの進歩を遂げることは、疑いないのだ。


それがしかも、これは紛れもない事実なのだが、ついぞこれまで、何ひとつとしてぼくから学んだというわけではなく、ただ自分だけで、自分自身の許から、数々の見事なものを発見し、出産してのことなのだ。


ただしそうは言っても、その際の取り上げは神の御業であり、ぼくもまた、それには微力を致しているのである。 (『テアイテトス』、150CD、田中美知太郎訳)


ソクラテスは自分一人ではいかなる智慧も生むことはできないが、他者との交わりのなかで、新しい智慧が生まれてくるのだ、それは、他者が自分から学んだものではなく、自分はただ産婆の役目をしているにすぎない、というわけです。


ソクラテスは、また、こう言います。


人間にとっては、徳その他のことについて、毎日談論するということが、まさに最大の善きことになっているのであって、わたしがそれらについて、問答しながら、自分と他人とを吟味しているのを、諸君は聞いておられるわけである。

(プラトン著、『パイドロス』、38A、田中美知太郎訳)


こうして、クセノポンやプラトンその他の同時代の人々の残してくれた記録のおかげで、わたしたちは、ソクラテスがどんな人物であったのか、ある程度うかがい知ることができます。


それは、いかなる意味においても、金英順さんのいうような、他者と「討論することを嫌がる」ような人物ではありません。


金英順さんは、ソクラテスの一冊も手に取って読んだことはないのでしょう。他人と交ることを拒み一人で独断的な思索に浸っている、という金英順さんのソクラテス像は、おそらく、哲学者一般に対して抱いている彼女自身のステレオタイプな偏見なのでしょう。




(佐倉さん、勝手に引用してすみません。リンクフリーとあったのでアドレスを掲載させて頂きました。貴重な資料をありがとうございます)



コメント



1. 無題


その通りですね・・・。


それは思います。 幸福の科学様と同じ程度かと・・・。


やはり日来神宮以外霊能者はいませんね。

???? 霊界の相対基準も段階がありますから


日来神宮 2014-05-24 18:51:39


posted by 蒼空 at 13:46| Comment(0) | 統一教会批判ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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